管理人が初めて100%に到達するまでの話

個人的な話になりますが、そこまでの道のりは長いものでした。
この中から100%へのヒントを汲み取っていただければ幸いです。



<そもそも音ゲーとは縁がなかった>


この辺はパカ魂エッセィにも書いていますので大まかに書くだけにしますが、
ビートマニアが流行りだした頃はまだ全然音楽ゲームに興味がありませんでした。
その頃はグラディウスIVにはまっていた時代でした。


あと、音ゲーに欠かせないものと言えば音感と動体視力なのですが、
これも正直、あるかないかといえば「ない」に近かったかもしれません。
中学時代の音楽の成績はいつも3または2で、決して良いものではありません。
タントアールなどでも動体視力を使うものは苦手でした(HAT、写真など)


お世話になっていた先輩の勧めで始めたのがパカパカパッションでした。
この話はエッセィにも書いた通りの流れです。




<札幌、大宮… 流浪の初期時代>

2000年頃のパカパカパッション界と言えば全盛期で、どこにでもあるような状態でした。
札幌市内のゲーセンも多く、特段に不自由することはありませんでした。
一応この頃にはJETマリカで98%くらいは出せるようになっていたはず。
澄川のヴィクトリアや、F1菊水店、キャッツアイ清田店などがメインでした。
一時期は西岡のプラザカプコンにもパカ1があって、初100万点はそこで達成してます。


2001年には仕事のために埼玉県大宮市(現在のさいたま市大宮区)に移住することになりました。
住み慣れた札幌を離れて暮らすのは初のことでしたが、大宮には多くのゲーセンがありました。
この辺りのことは浜松君さん迎撃の話の中にも若干触れています。

交通事故で指を裂傷骨折したこともありましたが、固定材で固定された指で指弾きの必要ないパートを選んででも、続けていました。
XLRゲロッパのユーロ地帯はこの時期に練習して出来るようになりました。
ファンタジオ大宮店(現在モアイ)を軸に、東大宮や上尾にも行ってました。


ところが一転、2002年に元の奥さんの出産を機に転職して故郷へ帰ることになったのですが…
地名は言いませんが道内の地方都市。パカロケどころかゲーセンも殆どない不毛地帯。
一番近いパカロケですら、250kmくらい先という場所で過ごすことになったのです。
最初のころはPS版もやらせてもらえましたが、次第にそれもできなくなります。
挙句、夫婦喧嘩をふっかけられてはリズムパッドを捨てられそうになる危機にも瀕しました。
(その都度職場の仲間に譲るという名目で守り切りましたが)

3か月に一度くらい札幌に帰っては、ワンダーパーク札幌に行っていました。
この地獄の時期を乗り切っていなかったら、今私はこうしてサイトを開くこともなかったでしょう。


2003年に札幌に戻ってきて、離婚して(爆)、実家に戻りました。
この頃にはすでにパカロケが激減してしまいました。
澄川のヴィクトリアもしくはキャッツアイ中の島店を拠点としていました。
ぱるメロをダウンロードしたのも、このくらいの時期でした。


そして地道な活動が功を奏し(?)東京への初遠征にて
パカラー・べるず(この時は正式HNのpacabellz名義)として、
本格的な活動を始めるのであります。




<二度目の試練>

2005年にはホームであったヴィクトリアの閉店
そして翌年4月からは身延山へ、僧道実修生として入場することになるのです。
道北地方都市以上にパカパカパッションとの縁のない生活をすることになりました。

携帯もなく、ネット環境もなく(終盤でちょっと使えた程度)…
入場前は、もうパカラーとして復帰するのは無理ではないかとの不安にもなったものでした。

それでも、夏と冬に二度の帰省の機会がありました。
夏の時は4か月間触れていなかったにもかかわらず、99%を出すことに成功。
秋口からは1か月に1度自由外出できる機会がありました(それでも数える程度)
当時山梨県で唯一のパカロケである甲府のオギノまで行ったものでした。

秋に伊勢・名古屋街頭布教があって、夜に特別に自由時間を頂いたこともありました。
上前津のアーバンスクエア大須まで行きました(宿泊地が伏見で近かったのも幸い)

道北時代の苦難、そしてこの実修生の期間。
パカがなくとも、パカへの情熱は失うことなく乗り切ったことが今日まで繋がっているのです。




<ピーズ&キューズで念願叶い、白石へ>

そして実修生を終えて札幌へ戻り、ピーズ&キューズを拠点に日々パカる生活。
(厳密にはこの時期は毎日行けたわけではないですが頻度は確実に上がってる)

そして御承知の通り、2008年7月17日に初めての100%を決めました。
以降はここをベースに閉店までの間は礎を固め、舞台はディノスパーク札幌白石へ。
現在ではあさみ堂ブログの更新の通り、日々100%アタックに邁進している次第です。


有難くも札幌にいる間は、パカパカパッションに困った時期がありませんでした。
キャッツアイ清田店→ヴィクトリア→ピーズ&キューズ(一時スガイコトニ)→ディノスパーク札幌白石…


こういうことを言うと誤解されるかもしれませんが、
相撲漫画「ああ播磨灘」の主人公のセリフを引用したいと思います。

 「運っちゅうもんは、強いものに回ってくるもんや。」
 「弱いやつには絶対に回らんようになっとる。」


自分自身が強い人間だとは思っておりませんが、
有難くもこうして運と縁に恵まれてパカパカパッションができることは、
やり始めの頃からの気持ちと言いますか、
情熱の維持にあったのではないかと推察します。



この間、パカパカパッション・ぱるメロ以外の音楽ゲームと言えば、
太鼓の達人くらいしかやっていません。他にミュージックガンガンに触れた程度。
ビーマニシリーズも人に誘われたりしてやった程度(勿論ビギナー向けモードで)。

正直、自分は音ゲーには疎いと思います。
そんな私でも、情熱を絶やすことなく地道な努力を続けて100%を出した。



これこそが、100%は誰でも出せるという論拠ではないでしょうか。
何よりも私自身が長い時間をかけてそれを証明できたのですから。

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