[2017年2月19日~2月21日 北陸遠征]

石川県金沢市 本法寺様

今回の旅のメインです


<2/20 その2>2/20のTwilog ※ただしこの時間帯は殆どツイートしてない



さて、金沢駅から雨の中をJRバスで移動。
降りた先の小道の坂を上って、すぐに見えてきました。
本日の、そしてこの遠征のメインの舞台である 本法寺様 です。



この遠征記の一番最初に「帰山式に招待された」と記しました。
昨年は山梨のM上人でした。今年は石川のS田上人(仮名)の帰山式です。


※S上人はまだ住職ではない(寄在)ので、正式な「帰山」ではないそうです。
 住職曰く「帰山、というのは本来はその寺の住職に対して使う言葉なんだよ」




山門に掲げられた案内
降りしきる雨の中、準備が進んでいました。



本法寺様 縁起
本法寺様の縁起です。



山門から入ると既に水行の準備が行われていました。
本堂の正面から中に入れていただく。
ここで、S上人の御両親と10年ぶりに再会しました。
(2006年4月に身延山僧道実修生として入場した時以来)



本法寺様 御宝前
(許可の上で撮影しています) 帰山式法要の準備が進んでいます
中央やや左、黄色い賞状のようなものが「許証」です。




この後は受付を済ませ、昨日じがくん上人から預かったものと一緒に御祝いを渡す。
山主のA清上人と初対面。実習生時代の同窓の者であると明かすと驚かれました。



三方が足りなかったのかな
奉告文もすでに準備されていて、その横に札幌から持参した御供えを置かせていただきました。



来賓寺院の控室は本堂の上の部屋。
管内から身分のある方が何人もお見えになっているようです。
なるべく目立たないように隅っこに…(笑



階段を降りると、ちょうどS田上人の姿が!
また、地元の新聞の取材を受けているようでした。
水行直前だったので挨拶くらいしか出来なかったけど…


 S上人「おおー!ホンマに来てくれたんか!ありがとう!後でな」




水行場の様子 写真の手前が本堂側です 管区の行僧さん全員が参加するそうで…


ド迫力!
10時半から水行開始 この時は少し雨の勢いも収まって、小雨でした
(一番左、本堂に近い場所にいるのがS田上人)




顔隠しが雑ですみません
11時より帰山式法要開始 読経の様子
(A清上人から、正面で撮影する許可を頂きました)



御宝前法楽
御宝前法楽(御祈祷 後段)の様子 
お花で隠れてよく見えない…



撰経頂戴
撰経頂戴
この時ちょっと肘が電気のスイッチに触れてしまって一瞬御宝前の電気が消えた ごめんなさい
(と思っていたら、住職やカメラを持ったお檀家さんも結構やってた 構造に問題が…?)




聞かせどころ
帰山式のメインといえば奉告文 
しかし今度は許証が影になってよく見えない…



奉告文を拝読するS上人
真横から、来賓各聖の間を縫って撮影しました



二百日目の節目
許証授与 管区の修法師会会長上人が代読
この後は管区の宗務所長上人からの祝辞がありました




感謝の言葉
S田上人本人からの謝辞 二百日の苦労を語る



大衆法楽
帰山式法要を終え、参列の檀信徒への特別祈祷(大衆法楽)が行われました。
月曜日ということもあってやや少なめなのは仕方ない。




御祈祷は前段です
9人の行僧が檀信徒を囲んでの大衆法楽



撰経頂戴
この後は行僧さん8人は退堂して控室へ 導師であるS上人だけが残る




1人1人の御祈願回向を拝読するS上人 
写真の左にいるのはS上人のお母様(その左にお父様がいます)




法要後… まだまだ巡業が続く行僧各聖はすぐに着替えなど準備をして移動。
控室に初行さんがいて袴を畳んでいました。私のこともS上人から聞いていたようです。


するとS上人、A清住職と共に何かを探している…?
どうやら行僧各聖にお渡しする御法礼を入れた袋が見当たらないと。
それ大変じゃないですか!探さないと!(汗


・・・結局、A清住職が見つけて、それをなぜか私がS上人の元へ運ぶ。



ここに来て初めて知りましたが、行僧各聖の移動は私服でいいんですね(笑
北海道とは違うなぁ。




S上人は別件があるため、1人だけ車で移動してそのまま次の巡業地へ向かうとか。
駐車場まで傘を差してあげて、その間いろいろな話を(短いながらも)しました。
その内容は… それは、私とS田上人の間のことだけにしておきたい。



 ひとつだけ。

 私「次は・・・来年こそは、私の番ですね」
 S「そうやな!オレ、〇〇(←私のあだ名)の帰山式には絶対行くわ!」




いつものアルファードに乗り込み、車が見えなくなるまでお見送りしました。




さて、荷物を取りに本法寺様へ戻ったところ、
本堂の左側では席を設けてお檀家さんが食事をされていました。
そして、知らぬ間に私の席まで用意されていて総代さんの横に誘導されました。
恐縮です。やはり皆様が気になるのはS田上人との関係。質問攻めでした(笑



その後、A清御住職様も登場。

「アナタとは、サシで…」と、小さいテーブルを出されました。
たぶん酒を酌み交わすことを念頭に置いていたのでしょう。すみません…



 A清上人「飲めないんだ~。Sとは違うんだねー」



A清上人からもいろいろな話を伺いました。
元々S上人が入る予定だった寺院から拒絶された裏事情、
金沢(というか北陸)特有の寺院事情、
S上人が「ウチの檀家には人気者だからねぇ」という普段のお話まで。



また、本日の帰山式に際して、御礼とお食事(お弁当)を頂戴しました。
御弁当は今日の夜にホテルで晩御飯として頂こう(札幌までは持って帰れないから)



S田上人 ご家族の皆様

本法寺様 A清御住職様 ご寺族・檀信徒の皆様

本当にありがとうございました。




丁重に御礼を申し述べて、見送りを受けて本法寺様を後にしました。
最寄のバス停より、北鉄バスに乗車して移動するが、雨は徐々に強くなっていく…



「兼六園下」バス停まで着いたのですが…降りたら外は大雨!!
折り畳み傘は持ってはいますが、あまり役に立ってません。



せっかく金沢まで来たのだから兼六園とか有名な所を見ておきたい…
そう思ったのが災いしたのかもしれません。
お前にそんな必要はないという天の御告げでしょうか(汗


兼六園(の、入口)
せめて、入り口だけでも…


金沢城(を、バス停から撮影)
金沢城



雨は酷くなり、車は水しぶきを上げて走るほど。
観光客の方々も大慌てで屋根付きのバス待合所に避難してきます。
しかしまぁ、月曜日でもこんなに観光客がいるもんですねぇ。

この雨で、先ほど本法寺様から頂いた御礼やお弁当が入った袋が裂けてしまった。
このままでは中身が飛び出してしまうため、持参した御供えを入れた袋に移し替える。
残しておいてよかった~(こういう時の為に袋は持っておくようにしてます)



早々に予定を繰り上げて、北陸鉄道石川線に乗りに行くことにしました。
そのためには西金沢方面のバスがいいのですが、ちょうどいいタイミングで到着。
乗ろうとすると後ろから「そのバスは金沢駅に行かないよ!」とおっさんの声。
地元の人っぽくないから、親切心で教えてくれたんですかね。
まさか次の目的地が北鉄石川線だとは思ってもいないでしょうが(笑



香林坊周辺はバスの中から見ました。
兼六園や金沢城公園が近いからか、ホテルがたくさん建ってます。
少し先に行くと片町という繁華街を通りました。
(雨じゃなければ、ここのタイトーステーションに行くことも考えてました)



バスはさらに進み… (次へ続く)

おまけ S田上人との間柄

※Facebookに寄稿した文章を一部修正しております

S田上人と初めて会ったのは平成18年3月。僧道実修生の面接の日でした。ただ、その日は言葉を交わすことは特になかったと思います。入場を翌日に控えた4月8日、境内の桜が満開で花まつりの参拝客(よりも観桜客の方が絶対多い)で賑わう久遠寺の片隅にある法喜堂が集合場所でした。この時に御両親ともお会いしています。

実修生は7人で、相部屋が3組。最初の1か月間、相部屋になったのはS田上人でした。この時S田上人は出家得度を4日前に終えたばかりで、お経が読めないどころか正座が長い時間できない状態でした。朝も早く、慣れない生活(本人曰く「4時半に寝ることはあっても、4時半に起きたことなんてなかった」) それでもS田上人は就寝前の時間に要品を読めるようになろうと、読めない漢字にはかなをふっていました。私も読み方を聞かれまして(当時、入場前に住職から要品の真読だけは教わっていた)最初の1ヶ月間はまさに二人三脚でした。

逆に私が助けられたこともあります。実修生は毎日夕方に団扇太鼓を叩きつつ唱題行脚しながら日蓮聖人御廟所へ向かい、拝殿で夜勤を行います。その帰り、雪駄ずれができてしまい血が出てきてしまい、激痛。それを見たS田上人が「大丈夫か!おぶってやるわ、乗って!」と私をおぶってくれたのです。で、何故そうしたのかはわからないのですが、黙っているのはダメだと思ったのかその状態で団扇太鼓を叩いて唱題をしていまして。後年、H爪上人(布教部 現在は別部署へ移動)曰く「あれは、実修生の歴史に残る衝撃のシーンだったよ」

そんなこんなで1年間、身延山実修生として共に過ごしました。これに留まらず平成19年には普通検定試験乙種の講習・試験の為に1週間、身延山大学で講義を受けました。余談ですが、私はその期間内は本行坊に宿泊しましたが、「カネがない」(本人談)S田上人は最初車中泊をしようとして、布教部のA山上人(現:K山姓 蓮朝寺御山主)に止められて、特別に身延山檀信徒研修道場の講師部屋を使わせてもらっていました。

平成20年、第一期信行道場へ共に入場。なんと同じ班になり、しかも講堂で並ぶと私の前はS田上人。35日間、毎日S田上人の背中を見ていました。ムードメーカー的な役割もあり、夜になると「怖い話して」と言い出しては班員を笑わせるのが定番でした(七面山でも同じことをしたので他の班の人にも迷惑が…)

その後、N寺さま(札幌市西区)で山務員として2年ほど勤務、その間には「おやじファイト」なるボクシング大会にも呼んでいただき、リングサイドから声援を送りました。

記憶に新しい平成24年には、加行所(大荒行堂)で共に初行として100日間の荒行を成満しました。 
 
私にとってもS田上人にとっても、お互いが最も長い期間一緒に修行期間を過ごした間柄であります。S田上人の方が年上なので私は常に敬語です。

もしかしたら子分くらいにしか思われてないかもしれませんけど(笑

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