あさみ堂10周年を振り返る

(1)2003年8月〜2004年3月


該当時期→2004年3月札幌パカ大会2004年3月首都圏遠征

あさみ堂10周年を期して、思い出せる限り過去を振り返ってみようと思います。
相手のあることもあるため多少ぼかし気味になる部分もありますが、ご了承ください。


さて2003年8月と言えば、ちょうど故郷・札幌へ戻ってきたくらいの時期。
2年くらい札幌を離れていたのですが、戻ってきたらパカロケが激減してました。
学生時代によく行っていたF1菊水店も閉店、キャッツアイの大半から撤去。
地元の豊平区近辺だと中の島のキャッツアイくらいしか残っておらず、
高校時代からのなじみであるゲームプラザ・ヴィクトリア(南区澄川)は健在でした。

しかしながら一番衝撃だったのは、
ビッグカメラの上にあるワンダーパークからの全作品撤去でした。
御膝元であるはずのナムコ直営店から撤去されるとは!


この時期まだ私は婚姻状態(変な表現だなぁ)にありました。
こんなことを言うとアレなのですが、あえて書きますと…
(あさみ堂立ち上げの理由に直結するので)
元の奥さんは、当初はパカに理解を示しておりました。
実際埼玉時代には大宮のファンタジオとかでもやってましたからね。

ただ、ある日からいい顔をしなくなりましたね。むしろ否定派くらい。
いろいろ言われましたよ。オフィシャル絵がキモイとかね。
(それは私のせいじゃないし、角屋さんに謝れよ!)

リズムパッドも、一方的に吹っかけられた夫婦喧嘩の度に捨てられそうになりました。
その都度職場の仲間に譲るからという名目で、預かってもらったりもしました。

ああそうそう、一番覚えているのはこのセリフ。



「そんなゲーム、もう過去のものだからやってるやつなんていない」



これ、実は一番ムカついた言葉でした。
ゲームって、絶対ファンが消えないものだと思ってます(実際そうでしょ?)
1980年代に出たゲームに、ファンがいなかったらナムコミュージアムなんて出ないわけですし。
これはもう全くの筋違いの言いがかりと思ってましたね。


それで火が付いたようなものです。
少なくなったとはいえその時にはまだ健在な店も(今よりは)多かった。
人気のないゲームがいつまでもゲーセンに置いてもらえるわけがない。
必ず愛好家はたくさんいる!あるいは残っている!


閉鎖状態のあさみ堂を、tok2(当時)で再開したのはこの時でした。
2003年8月3日、現在もパカパカパッションを扱っているサイトを探しまくり、
そのすべてを網羅するために始まったのが、2代目のあさみ堂サイトです。

※あさみ堂は当初、元サイトの掲載サイトにつけられた名称

ちょうどこの話題を詰人(陸)さんが青りんごの日記で話題にしてくださり、
NALさん、RAKさんなど今でも交流の深い方々とのファーストコンタクトのきっかけになりました。

翌月9月に家族会議の末離婚することになりました。
住んでいたアパートを引き払って実家に娘を連れて戻ることができました。
しかしまぁ、モノを取りに来るとはいえ新しい男を連れてきますかね、普通…^^;


その後も毎日サイトをどこかしら修正したり加筆したり、
こちらから訪問して足跡を残したり、交流を持とうとコンタクトを取ったり。
HUNさんには「驚愕の毎日更新サイト」と称されたこともありました。


札幌パカラーとも少しは交流を持つようになりました。
セリカ好きのえむさんは前サイトで少しだけ接触がありました。
そしてその当時は問題児扱いだとは知り得る由もなかった飛龍神乃嬢。
(今まさかこの名前を入力するとは思わなかった)

2004年3月、今はなき琴似のアルゴスで大画面50インチ筐体を使った札幌パカ大会を開催しました。



その23日後、27回目の誕生日。
その後のパカラー人生のすべての始まりと位置づけられる首都圏遠征に至るのでありました。
もう二度と行くことはできないだろうと思っていた首都圏に行くことが叶ったのです。
その時、一番最初に会ったパカラーさんが、現在までも仲良くさせていただいている七星音緒(当時)さんでした。
まだ高架になっていない京急蒲田駅の、品川寄りの場所で。

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