[2014年11月29日〜12月2日 首都圏遠征26]
祖廟の前で 何を思う…
<12/1 身延編>→12/1のTwilog
そんなわけで久しぶりの身延山での朝。
冬時間(10月〜翌年3月末)は、午前5時半に大鐘が鳴ります。
2012年4月の団参以来の、月旦(がったん)の参拝です。雨ですが。
本堂に入る前に報恩閣で塔婆の受付。ついでにお土産もな(笑
行堂で共に苦労したI原上人と再会しました。
そして本堂では毎度のことながら、朝勤の導師挨拶(この日は法主猊下)で・・・
「皆様、おはようございます。
今朝は…遠路はるばる北海道より 札幌市○○寺 ○○上人御一行様…
その他、全国津々浦々、門前町の皆様、
朝勤への御参列誠にご苦労様でございます。」
あの・・・単独です・・・^^;
※猊下は法務部から回って来るリストを読んでいるだけで、そこには人数などは書かれていないのです
今回は祈願を申し込んでいないので祖師堂には後から入ろうと思ったのですが、
既に報恩閣前にはO野法務部長(実修生で入った時の布教部長)がいらっしゃいました。
知らない間に北海道に日帰りしてたり、相変わらずお忙しそうで…
※月旦は部長さんが全員集合するが、脇導師の席が足りないので
法務部長は慣例として祖師堂後から合流し、仏殿朝勤の導師を務める
そして祖師堂から式衆が出てきて、O野部長は仏殿へ向かう。
で、同じく塔婆申込みをしている橋姫女史を迎えに祖師堂へ向かうと、
既に法話の真っ最中でしかも前に座っている…(たぶん促されたっぽい)
呼び戻するのが非常に心苦しかった…月旦は布教部長さんの法話なので…
祖師堂法話と仏殿塔婆供養、同じ時間に行うの…そろそろ何とかなりませんかね?
何日も滞在できればそれで問題ないんですけど。
そんなわけで仏殿塔婆供養 御宝前を挟んで反対側にも同じくらいの数
しかし参拝者はえらい少なく、最後まで残っていたのは私と橋姫女史だけだった…
で、仏殿を出てさらに進むと・・・
あれ… 橋がくりぬかれてる?!(以前は横にスロープがあった) ※この2枚は戻る時に撮影
その後、永守稲荷の朝勤で朝のお勤めは終了。
月旦で猊下の訓示がある旧書院に、次々と向かっていく山務員さんや職人さん、学生・実修生。
後ろの方から見られるかなと思ったら、今は全員入れちゃうから襖をしめちゃうのね…^^;
その間は水鳴楼を見たり、客殿の大聖人の前にいました。
やがて訓示が終わるとぞろぞろ旧書院から皆様が出てくるわけですが…
I上総務さまやK山財務部長さんに見つかり、声をかけられました。
「おおー、○○君 また来てくれたのか」
「札幌からご苦労さん!」
うん、たぶん来過ぎなんですよね 私
一旦報恩閣まで戻って、靴を履いて境内へ。
その後鶯渓閣へ向かい、布教部にも挨拶に行きました。新しく入ったお上人さんも…
やがてY村布教部長さんがお見えになり、来山の御挨拶ができました。
例の法話の時のことも言われました(汗
「いやー、今日は珍しく若い女性が聞いてくれる!と張り切ったんだけど
途中でいなくなっちゃって、あれ…あれれ??って思っちゃいましてね ハハハ」
すいませんそれ私のせいです…
布教部のある鶯渓閣を後にして、雨の中諸堂を回りました。
その時に山林部のS木さんがちょうど出てきて、
「おお、久しぶり!あれー、太ったんじゃないの?行堂出てからリバウンド?」
ザクッ グフッ
※心に何かが刺さった音/心の悲鳴
雨で誰もいませんが、靄がかかっていたので幻想的な光景に!
甘露門
時鐘 ・・・川越じゃないよ
仏殿 後ろの森がイイ感じです
御真骨堂(白い建物)、拝殿(手前の建物)
棲神閣祖師堂 右は総受付報恩閣
祖師堂の前で、石畳を敷設する工事が行われていました。
五重塔
本堂
まだ紅葉がキレイな時期でした
例の菩提梯 この雨では降りるのは危険…
2015年の年賀状にも使った写真です。本堂+紅葉+雨!
宿坊に戻ってきたのは午前9時頃でした。
いただきまーす (ただし、猊下が先に召し上がる)
宿代の精算や、一部の荷物を札幌に送ってしまう手続きを終えて、
お世話になった本行坊を後にしました。また9月に来ます(予告)
そのまま車で御廟域の駐車場へ。車だと早い(当たり前だ)
2日前に石和温泉でお会いしたT野別当(※御廟域の管理責任者のこと)がいらっしゃいました。
拝殿から御廟を参拝 清浄な気持ちになります
拝殿からの景色もいいものです
かなりの葉が散っていました
霊山橋から身延川を見る
御廟法務所にも挨拶をして、この域を後にしました。
信行道場(奥の建物)の真横にある供養塔
最後に、門前町の紫雲堂(仏具屋さん)へ向かいました。
御挨拶だけのつもりだったのに、おかみさんにお土産も持たされちゃいました。感謝!
そして身延山を後にして、国道52号線を北上するのです。
>>つづく